仙台の街中が青葉に包まれる
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定禅寺通のケヤキ並木に青葉が芽吹き、緑のトンネルが初夏の光を一杯に浴びる中、青葉まつりは開催されます。
杜の都仙台が緑に輝き、色とりどりのハッピに身を包んだすずめ踊りの流し踊りが所狭しと跳ね回り青葉まつりは盛り上がっていきます。
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本まつりでは、木漏れ日の中を勇壮な武者行列、青葉神社の神輿、山鉾巡行と続きまつりはクライマックスを迎えます!
青葉まつりの歴史 |
江戸の頃は、仙台の最大のまつりは東照宮の「仙台まつり」でした。
その後、明治になり伊達政宗を祀った青葉神社ができ、政宗の命日である5月24日に行われた青葉神社の「青葉まつり」がしだいに盛となり、「仙台まつり」の山鉾の巡行も「青葉まつり」の中にとりいれられていったようです。
明治後期になり、仙台市内も電線が張り巡らされ、山鉾の巡行は困難となり姿を消してしまいました。
また、昭和40年代、交通事情により「青葉まつり」自体も一時縮小されてしまいましたが、昭和60年の伊達政宗公没後350年を機会に昭和63年には市民のまつりとして「青葉まつり」は復活しました。
青葉まつりの見所 |
=その1=
11基の華やかな山鉾が市内を巡行します!
政宗公山鉾 (仙台観光コンベンション協会)、政宗公兜山鉾 (日専連仙台)、御神船山鉾 (仙台水産)、唐獅子山鉾 (勝山企業)、大鯛山鉾(阿部蒲鉾)、恵比寿山鉾 (藤崎)、大黒天山鉾 (報道六社)、七福大太鼓山鉾 (七十七銀行)、青葉駒山鉾 (菓匠三全)、雅山鉾 (JR東日本)、囃子山鉾 (NTT)と全11基が青葉のトンネルをくぐりながら巡行します。
この山鉾の始まりは、青葉神社の「青葉まつり」が始まる前の宮町・東照宮の「仙台まつり」でした。
その「仙台まつり」で各町内ごとの山鉾が巡行していましたが、明治後期になり電線が市内に張り巡らされたため、仙台開府300年祭(明治32年)を最期に山鉾の巡航は姿を消しました。
(昭和10年の政宗没後300年祭には山鉾も出たようです。)
そして昭和60年、政宗公350年祭で再び山鉾は復活!仙台市民のお祭りとして「青葉まつり」とともに山鉾の勇士は完全に復活し現在に至っています。
本まつりで巡行する前はアーケード街に飾られ出番を待っています。
そして本まつり当日、1基ずつアーケードの屋根の下から青葉通へと続々と姿を現します。
解き放たれるように青葉繁る市内へ出た山鉾は、晴れの舞台を気持ちよさそうに巡行していきます。 |
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さぁ出番は次だ! |
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お先に!青葉通に繰り出す山鉾 |
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ビルの合間を七福神を乗せ山鉾が行く! |
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=その2=
仙台名物すずめ踊りがピョンピョン跳ねながら街中を流し回ります。
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仙台名物すずめ踊りは「青葉まつり」の宵まつり、本まつりの2日間にわたり、仙台駅の特設会場や市民会館('08年から)でも乱舞します。
そして数十の団体が競って市内を踊りながらねり歩き、まつりのボルテージがいよいよ高まります |
商店街を流す! |
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※すずめおどりの由来
仙台のすずめ踊りは、仙台城新築移転の儀式(慶長8年)の宴の席で、現在の大阪府堺市から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りがルーツといわれています。
伊達家の家紋(竹に雀)にすずめがあしらわれていることや、ピョンピョンと跳ねる踊りの様が、餌をつつく雀のようだったことから「すずめ踊り」と名付けられたようです。 |
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=その3=
青葉神社神輿と甲冑武者行列
時代絵巻巡行は甲冑武者行列、青葉神社神輿渡御が仙台市内を練り歩きます。
山鉾がそのあとを追うように巡行し、その間を縫うようにすずめ踊りがそこかしこで舞われ、まつりのボルテージは最高潮へと登りつめます。
仙台青葉まつり
毎年5月の第三土曜日が宵まつり、次の日の日曜日が本まつりです!
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