=辞令=
そもそもことの始まりはその年のゴールデンウィークの始まるチョット前でした。
サラリ−マンの私は上司に呼ばれ、ある決心を迫られました。
そう、仙台への転勤、単身赴任の内示でした。
入社以来25年、初めての転勤、しかも単身赴任です。サラリーマンの悲しい宿命、行けと言われたら行かなくてはなりません。
ゴールデンウィークも終わり6月、不安を抱えながら新幹線「はやて」に乗り込みこの単身赴任の一人暮らし生活がスタートを切ったのです。
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=単身赴任生活=
単身赴任生活。はじめは戸惑いましたが、赴任先の引継ぎで1週間程客先廻りをしているうちに早くも、なんとなくですが東北になじんできてしまったのです。
もともと私は生まれも育ちも埼玉で、大宮から新幹線を小一時間も乗れば東北の玄関福島の郡山ですし、仙台までも「はやて」なら1時間チョット。
そんな遠くへ単身赴任しているという感じもしなかったし、親戚や知人にも東北出身の人が多かったので身近に感じたかのカも知れません。
40代も後半になって初めての単身赴任。
不安もありましたが不自由を感じるより、何でも自分の思うままのひとりの気軽な生活にどんどんはまっていきました。ともあれ東北での一人暮らしは思いのほか順調にすべりだしました。
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単身赴任といえばお決まりの炊事や洗濯、掃除などもあまり苦にはならず今でも楽しんでやってますよ。ただ、炊事にはやや問題があります。
最初の3ヶ月位はマメにやっていました。もともと料理はたまに自宅でもやってましたから。
しかし単身赴任の一人暮らしではやっぱり不経済なんですね。 |
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もっといろいろ考えて買い物すれば(たとえば食材の使いまわしかた、献立など)外食より安くてバランスのとれる食生活を送れるのでしょうが・・・。
ということで、とうとう平日はほとんどが外食になってしまいました。
まぁあまり深く考えず単身赴任をエンジョイすることが精神的にはよさそうなので、これから何年続くかわからない単身生活をのんびりマイペースで過ごしていきたいと思うようになってきました。
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=奥の細道に出会う=
仕事の関係で(営業職のため)車で東北をまわっています。
四季の移り変わりを楽しみながら旅気分で仕事ができることは、単身赴任というより転勤者の役得です。
冬が終わり桜を待つ思い、山の木々が芽吹き新緑から緑が濃 くなっていく様。
東北といえども暑い夏、紅葉で山が燃える秋。
そしてまた白一色に。
めぐる季節の中、白いライトバンが走ります。
そんな中、どこへ行っても出会う人がいます。
それはかの有名な芭蕉さんです。
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私の担当エリアは宮城、福島、山形なのですが、そこはまさに「奥の細道」とオーバーラップするのです。
最初のうちはあまり気に留めていなかったのですが、仕事で行くところ廻るところ芭蕉さんが先回りして出迎えてくれるのです。
そうなると逆に、芭蕉さんが巡ったいろいろな所を見て歩きたい、そんな気持ちが湧いてきました。 |
福島駅前の芭蕉像 |
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こんな私の、東北単身赴任生活と「奥の細道」追っかけ記。つたない文章ですが綴ってみました。
このページで、私が見つけた東北と単身赴任の実体験を少しでもみなさんに伝えることができれば幸いです。
どうぞ私の単身赴任エンジョイ生活をごゆるりと見ていってくださいませ。
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=家族について=
単身赴任というのは自分ひとりの問題ではありません。
こんなお気楽に一人暮らしを楽しんでばかりもいられません。自宅に残してきた家族がいるのですから。
私の場合、女4人(私の母、女房、娘2人)を埼玉の川口に残してきています。
母は高齢でモノ忘れが、上の娘は年頃で彼氏もできたようです。
下の娘はチョット歳が離れていてまだオテンバ盛り。
月に1,2度自宅へ帰りますが娘たちはアッケラカンとして自分たちの日々を過ごすことに没頭し母は何度も同じことを繰り返し言っています。
さすがに楽天家の女房も愚痴が多くなってきました。
でも、単身赴任で離れて暮らすようになってから逆に夫婦仲は以前より良好になってきたようにい思います。
遠くからお互いをみてお互いの存在を再確認できたのかもしれません。思ってもみなかった単身赴任の副産物です。
こんな単身赴任生活を与えてくれた会社に感謝、感謝!
単身赴任が終わったら、芭蕉さんと曽良さんがふたりで巡った東北路を今度はゆっくりと女房と二人で歩いてみたいと思っています。
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