多賀城にて

東北一人暮らし   

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多賀城、塩釜。そしてもう少しで待ちに待った松島です。
江戸を出るときから楽しみにしていた松島の月。
でもその前に、奈良・平安の時代「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた東北の中心地多賀城


  =多賀城=

多賀城は北の拠点として、朝廷と蝦夷(エミシ)の人々との争いの場ともなりましたが、その後は「歌枕」の地として王朝の人々が憧れたロマンあふれる土地です。

「かの畫圖にまかせてたどり行バ、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て、國守に獻ずと云り。
壷碑市川村多賀城に有。

つぼの石ぶミハ高サ六尺餘、横三尺斗歟、苔を穿て文字幽也。四維國界之數里をしるす。此城、神龜元年、按察使鎭守府將軍大野朝臣東人之所里也。天平寶字六年、參議東海東山節度使同將軍惠美朝臣修造而、十二月朔日と有。聖武皇帝の御時に當れり。

むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石ハ埋て土にかくれ、木は老て若木にかハれば、時移り代變じて、其跡たしかならぬ事のミを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。

行脚の一徳、存命の悦び、覊旅の勞をわすれて泪も落るばかり也。」


歌枕である壷の碑に訪れた芭蕉さん。奈良時代に建立され多賀城について書かれた碑を見て感動します。

いままで訪れたいろいろな歌枕の地は、時が流れるにつれ変わっていました。
しかし目の前に、千年も前に建立された碑あると思うと思わず感動にふけってしまったようです。
壷の碑


多賀城跡
多賀城は、古代律令政府により陸奥国の国府が置かれたところで、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。

その遺跡は多賀城市北西部の丘陵上にあり、奈良の平城宮跡、九州の太宰府跡とともに日本三大史跡に数えられている。


この石段の上に朱塗りの二階層からなる門がありました。

アクセス:JR国府多賀城駅→徒歩10分
多賀城跡
周りは何もありません。小高い岡上に礎石が残るだけですが、何かロマンが漂います。
 
左の朱門はJR国府多賀城駅前にあるモニュメントですが、上の多賀城跡の石段の上にはこんな立派な門が建っていました。
みごとだったでしょうね。
右写真は多賀城復元模型。真ん中下が朱塗りの門


壷碑(多賀城碑)

多賀城南門付近にある高さ2mの石碑。碑面 には、多賀城の位置、神亀元年(724)に多賀城が大野東人によって創建されたこと、762(天平宝字6)年に藤原朝によって造りなおされたことなどが彫り込まれている。

多賀城の造営について他に記録がなく、貴重な資料。
多賀城跡の向かいの小高い丘のお堂に守られ建っています。



アクセス:JR国府多賀城駅→徒歩10分



おくの細道と東光寺

絵師の加右衛門が書いてくれた絵図を頼りに、芭蕉さんたちは岩切の冠川(七北田)沿いの東光寺門前畦道を歩いていきました。当時その道は「おくの細道」と呼ばれていたようです。

この「おくの細道」という響きに芭蕉さんは魅せられたのでしょうか。
そしてこのおくの細道が「おくの細道」の題名になったとも言われています。

アクセス→東北本線岩切駅徒歩25分


東光寺
東光寺前の七北田川
今では立派な道になってしまっている「おくの細道」 東光寺門前の、ここぞ「おくの細道」と立っている石碑


東光寺石窟群

東光寺には芭蕉さんたちは立ち寄ったという記録は残念ながらないようです。

しかし、その裏手には今では仙台市の指定文化財とされている史跡「東光寺石窟群」がありました。

鎌倉から室町時代ほられた、薬師如来や阿弥陀如来が今でも岩肌にのこっています。
芭蕉さんの時代にはすでにあったのですが見なかったのでしょうか?

右の写真は石窟とその中に彫られている仏像。

東光寺の脇の坂道を登っていとすぐにありますよ。


 
 =野田の玉川、沖の石、末の松山=

「それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も、終はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。

五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、 籬が島もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとヾ哀也。

 其夜目盲法師の琵琶をならして、奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。




野田の玉川とおもわくの橋

平安中期の歌人能因法師が、「ゆふさればしほ風こしてみちのくののだの玉河千鳥なくなり」と詠んだ歌枕を芭蕉さん達も見に行きました。
千鳥や月の名所であった野田の玉川もいつしか小さくなってしまっていたようです。

いまでは「水・緑景観モデル事業」として整備されながらひっそりとながれていました。

またそれに架かるおもわくのの橋は「野田の玉川」に架かる8つの橋の1つで。前九年の役の時に阿倍貞任がこの橋で恋人「おもわく」と待ち合わせをしたという伝説から名前がついたといわれます。

「安倍の待橋」とも呼ばれ、芭蕉さんの尊敬する西行さんも「ふままうきもみぢのにしきちりしきて人もかよはぬおもはくのはし」と詠んでいます。
野田の玉川とおもわくの橋
アクセス→JR多賀城駅より徒歩20分



沖の石、末の松山

沖の石(池の中に岩がある。住宅街真っ只中) 末の松山(沖の石よりスグ。小高い丘の上)

ともに歌枕であり、芭蕉も訪れました。

古今和歌集の東歌「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむなど多く歌に詠まれている末の松山、そして沖の石(または沖の井とも呼ばれている)を見物して塩釜へと芭蕉さんたちははいってゆきます。

今では住宅街に埋もれてしまったこの二つはすぐ近くで、こじんまりではありますが未だにちゃんと残っています。

アクセス:JR多賀城駅より徒歩10分



万葉まつり
多賀城市にゆかりのある、歌人の大伴家持を偲んで10月に開かれる「万葉まつり」のパレードを運よく見ることができました。

小さな子供さんから大人まで多賀城ゆかりの万葉人に仮装し、市街地から多賀城跡へと練り歩きます。

このパレードに使う400着もあるという万葉衣装は、「無料貸し出し」行っているそうで、学芸会や結婚披露宴などに使われているらしいです。



東北歴史博物館

旧石器時代から近現代までの東北の歴史が展示されています。

多賀城の復元模型などもあり、多賀城跡を見る前にはここは要チェック!

アクセス:JR国府多賀城駅徒歩スグ


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