須賀川にて

東北一人暮らし   

                 =奥の細道追っかけ記= 
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=須賀川に入る=

須賀川は白河と郡山の中間で福島県のほぼ中央に位置します、福島空港もここにあります。
4月から5月中旬ごろには有名な須賀川ボタン園が見ごろです。



    須賀川で長居=

須賀川で名刺交換したらボタンの花の写真入名刺を使っている人が何人かいました。 それほどボタンが有名な町です。

ところで、白河の関を越えみちのくに入った芭蕉さん。須賀川に入り知人の等窮さん宅を訪ねるといきなり、白河の関どんな句を詠んだのか問われました。



「 とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に會津根高く、右に岩城・
相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日ハ空曇て物影うつらず。すか川の驛に等窮といふものを尋て、四五日とゞめらる。先白河の關いかにこえつるやと問。長途のくるしみ、心身つかれ、且ハ風景に魂うバゝれ、壞舊に腸を斷て、はかばかしう思ひめぐらさず。

     ”風流の初やおくの田植うた”

無下にこえんもさすがにと語れば、脇・第三とつゞけて、三卷となしぬ。」



あれこれしながら白河の関を越え、阿武隈川を渡ってきました。
左に会津磐梯山がそびえ、右には岩城・相馬・三春の庄があり、常陸・下野の境となる山が連なっています。

須賀川に入る前に、白河と須賀川の間にある鏡沼という沼に立ち寄りました。
そこは天気がいいと、蜃気楼のようなものが見えてたらしいですが、芭蕉さん達が行ったときは曇っていて見えなかったようです。

その後、須賀川の宿駅の等窮という知人を訪ねると4,5日ゆっくりしていきなさいと引きとどめられました。

そして、早速「白河の関はどう越えられましたか」と聞かれ「長旅で心身ともに疲れ、また風景に心を奪われ昔を思い出して断腸の感動で句を読めませんでした。」

と白河の関で句を読めなかったことを話し上に紹介した句を読みました。


”奥州に入って始めての風流を感じたのは,道すがら聞こえてきた田植え歌でした”

一句も詠まず白河の関を越えるのもどうかと思いこう詠みましたと言うと、等窮さんがこの句に続き句を読み連句ができました。
十念寺の「風流や・・」の句碑
そういえば、白河の関の「奥の細道」の中では曽良さんの句を載せていました。とりあえず何か句を詠まなければと関を越えたあとにこんな句を詠んだのですね。


鏡沼

この沼は鎌倉時代の武将がこの地に流され、それを追ってきた奥さんが来たときは亡くなってしまっていました。

それに嘆いた奥さんはこの沼に身を沈めたといわれています。

今では沼というより水溜りのようになってしまっていますが、小公園になっています。
鏡沼跡
周りの田園風景を見渡すと、

”風流の初やおくの田植うた”

の句が今でもぴたっと当てはまります。


その後、須賀川の宿駅の等窮という知人を訪ねると4,5日ゆっくりしていきなさいと引きとどめられました。
天保時代に描かれた鏡沼周辺図 田圃の真っ只中にポツリとあります 芭蕉・曾良像


  
  =栗の木=

須賀川のこの知人宅でも歓迎を受けまた長居をすることとなった芭蕉さん。厄介になっている等窮さんの屋敷内の庵に住んでいた僧の暮らしが気になってしまいました。


「此宿の傍に、大なる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやと閑に覚られてものに書付侍る。其詞、 栗といふ文字は西の木と書て 西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも 柱にも此木を用給ふとかや。

   ”世の人の見付ぬ花や軒の栗” 」


この宿のそばの大きな栗木の陰でひっそりと暮らす可伸という僧がいました。
その暮らしぶりは俗世間から身を隠しひっそりとその木の下の庵ですんでいました。

まるで西行法師が詠んだ「橡ひろう」という歌の中の世界(深山の中の生活)はこういうものなのかなぁと閑静な暮らしぶりを書きとめました。

  ”世の人の見付ぬ花や軒の栗”

 ”あまり目立つことのない栗の花のようにこの屋の主人もひっそりと暮らしています”

栗という字は西の下に木と書き、西方浄土にゆかりがあるといって、杖や柱にもこの木を使っていたらしいです。

さてこの栗の木、現在は4代目と言われていますが、今でもひっそりと立って須賀川の地を見守っているのです。


住宅街の中の小公園風に囲われた所に立っています。

NTT須賀川支局の電波塔の裏の細い路地を入ったところです。

そろそろ須賀川をお暇しようとしましたが雨が続き阿武隈川の水が増して渡れません。出発は1日延びてしまいました。なんだかんだ8日間も須賀川に滞在してしました。


翌日は快晴でした。サァ出発です。途中で阿武隈川の岩盤の段差から川水が落ち、乙の字のようにうねっていることから「乙次が滝」(石河の滝)と呼ばれる滝を見物。

この日は連日の雨のためかなり水量があったと思われ、壮観な滝を見たのではないでしょうか。


須賀川牡丹園から3,4キロ先の地味なスポットです、見落とさないでください。赤い橋が架かっているのが目印です。

句碑の横には、
芭蕉さんと曾良さんのかわいらしい石像も立てられました。

「奥の細道」には書かれていませんが「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」と詠んだそうです。

その句碑が、滝見不動尊御堂の傍らに建っています。




芭蕉記念館
芭蕉さんが須賀川を訪れて300年になったことを記念して、平成元年に須賀川の観光案内の拠点として建設されたものです。 芭蕉記念館には芭蕉ゆかりの掛け軸など貴重な資料が展示されています。

展示品はやや少ないですが、当時の旅人の所持品など参考になりました。

アクセス:JR須賀川駅からバス10分八幡町下車
すぐ。(市役所とスポーツセンターの駐車場の傍らにあります。)



十念寺

境内に入ってすぐ右に「風流の初やおくの田植うた」の芭蕉さんの句碑があります。

須賀川滞在中、芭蕉さんたちも参拝しています。

また、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得し、残念にもその後自ら命を絶ってしまった円谷選手のお墓もここにあります。

芭蕉資料館より300m


軒の栗庭園

可伸庵跡の栗木の路地を抜けちょっといったところの小公園。

芭蕉さん曾良さんの小さな石像と等窮さんのかわいらしい石像がありました。

水車のミニチュアが回っています。小休止にちょうどいいですよ。


芭蕉記念館、栗木、十念寺、そしてこの軒の栗庭園は須賀川市役所を基点にそれぞれ2分から5分くらいしかはなれていませんよ!


須賀川牡丹園

東京ドームの3倍の広さをもつ10ヘクタールの園内に290種類、7000株もの牡丹の大輪の花が一斉に咲き誇ります。牡丹の見ごろは4月下旬から5月中旬です。

写真は入り口前の広場に立つ牡丹姫の像。

アクセス:JR須賀川駅からバス15分

乙字が滝

日本の滝百選の一つ。那須高原に源を発する阿武隈川唯一の滝で、水が乙字の形をして流れ落ちます。水かさが増すと、100メートルもある滝幅いっぱいに落下する水しぶきが松の緑に映えて雄大です。

また、江戸末期には通船堀が造られ、船の行き来ができるようになりました。
滝の脇に建つ小さなお堂、滝見不動

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